一茶の歴史
一茶の生涯
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1763年 宝暦 13年 1歳 信州柏原の農家に生まれる。
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1765年 明和 2年 3歳 実母くに死去。
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1770年 明和 7年 8歳 継母はつが来る。
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1772年 安永 元年 10歳 異母弟仙六が生まれる。
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1776年 安永 5年 14歳 祖母かな死去。
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1777年 安永 6年 15歳 春、江戸へ奉公に出る。
以後10年間の消息は不明。
20歳ごろ松戸馬橋(千葉県)の大川立砂のもとに奉公したと伝えられる。 -
1787年 天明 7年 25歳 葛飾派の指導者溝口素丸(渭浜庵)の執筆を務める。
葛飾派の小林竹阿(二六庵)に師事する。
このころ「圯橋」の名を使用する。 -
1788年 天明 8年 26歳 葛飾派の森田元夢(今日庵)に師事する。
このころ「菊明」の名を使用する。 -
1791年 寛政 3年 29歳 江戸に出てからはじめて柏原に帰る。
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1792年 寛政 4年 30歳 西国行脚に出発
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1798年 寛政 10年 36歳 西国の旅を終える。柏原に帰り、その後江戸へ戻る。
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1801年 享和 元年 39歳 帰省中に父が傷感を発病、5月に死去。
遺産分配をめぐり継母・弟と対立が始まる。 -
1807年 文化 4年 45歳 父の7回忌法要のため帰郷、この年2度の遺産交渉を行う。
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1813年 文化 10年 51歳 亡父の13回忌を行う。弟と和解し、父の遺産の半分を受け取る。
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1814年 文化 11年 52歳 きく28歳と結婚。
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1816年 文化 13年 54歳 長男千太郎生まれるが、まもなく死去。
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1818年 文政 元年 56歳 長女さと生まれるが、翌年死去。
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1820年 文政 3年 58歳 次男石太郎生まれるが、翌年死去。
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1822年 文政 5年 60歳 三男金三郎生まれるが、翌年死去。
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1823年 文政 6年 61歳 妻きく37歳で死去。
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1824年 文政 7年 62歳 ゆき38歳と再婚するが、まもなく離婚。
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1826年 文政 9年 64歳 ヤヲ32歳と3度目の結婚をする。
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1827年 文政 10年 65歳 柏原大火で母屋類焼、焼け残りの土蔵に移る。
11月19日、仮住まいの土蔵の中で死去。
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