一茶について

一茶が初めて高山村を訪れたのは文化6年4月25日、一茶47歳の時である。以来、一茶が亡くなる文政10年11月19日まで約19年間、高山とは行き来があった。

この間、一茶は、彼の日記の中ではっきりしているだけでも高山村で185日(紫の久保田春耕宅143、千本松の中村皐鳥宅19、堀之内の梨本稲長宅17、梨 本牧人宅3、山田温泉3)も宿泊しており、善光寺以北に於ける巡回指導の大事な拠点であった。また、家庭的に恵まれなかった一茶にとって、自分を温かく迎 え、進んで教えを乞う門人の多かった高山村は、心身の安らぎを与えてくれる”癒しの場“でもあったようで、妻子を亡くした晩年の一茶は頻繁にここを訪れていた。

久保田家では、先代の隠居所であった「離れ家」を一茶に提供し、厚くもてなした。一茶は、十数年間、時々ここに逗留しながら近隣の門人たちの指導をしてい た。この「離れ家」がほぼ当時のままの姿で残っている。現在、一茶が住んでいた建物で残っているのは、柏原の終焉の土蔵と、この「離れ家」だけである。な お、この「離れ家」は茅葺の屋根裏に土壁が塗ってあり、建築学的にも珍しい貴重な文化財である。(高山村指定文化財)

高山村における一茶の門人は、久保田春耕夫婦をはじめ中村皐鳥、梨本稲長、梨本牧人、善哉山士、臼田野僕等およそ20人ぐらいはいたようである。なお、門人とはいえないが、この地域の俳諧グループ「高井野連」の先達であった小出山暁も俳友として親しく付き合っていた。

そうした門人宅など、村内には一茶の遺墨が数十点、中には、一茶の三大作品の一つと言われる「父の終焉日記」をはじめ、「浅黄空」「俳諧寺抄録」等の一級 作品の原本や、珍しい付け木書など優れた作品が多く伝えられている。また、一茶の師匠、友人、門人たちの短冊類が三百点余り。その他、一茶や当時の俳諧に 係わる資料が数多く残されており、識者の間では前々から、高山村は一茶研究の資料の宝庫と言われていた。

一茶は、俳諧史上、芭蕉、蕪村と並び称せられている俳人であるが、最近の一茶研究の深化と俳句人口の増加とが相俟って、ますますその声価が高まってきてい るようである。そんな一茶とこの村との深い関わりを基に、俳人一茶の顕彰と、貴重な遺墨や資料の保護、活用を考えて、平成8年11月、久保田家に隣接した 場所に「信州高山一茶ゆかりの里・一茶館」が造られた。以来、全国各地から多数の一茶や俳句の愛好者たちがここを訪れ、彼の数奇な生涯やユニークな作品群 との出会いを楽しんでいる。

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