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日頃、「歴史公園信州高山 一茶ゆかりの里 一茶館」をご利用、ご来館いただきまして誠にありがとうございます。
 小林一茶は、江戸時代を代表する俳諧師の一人ですが、本館は、高山村に伝えられてきた一茶の遺墨等、貴重な資料を保管し展示する施設として平成8年11月に開館いたしました。
 一茶が初めて高山村を訪れたのは、文化6年4月26日(1809)、一茶47歳の時でした。以来、一茶が亡くなる文政10年11月19日(1828)までの約19年間、、高山村を何度も訪れています。一茶の日記の中ではっきりしているだけでも、高山村には185日宿泊しており、善光寺以北に於ける一茶の俳諧指導の大事な拠点となっていました。家庭的に恵まれなかった一茶にとって、自分を温かく迎え進んで教えを乞う門人の多かった高山村は、心身の安らぎを与えてくれる癒しの場でもあったようで、特に妻子を亡くした晩年の一茶は頻繁にここを訪れました。
 久保田家では、先代の隠居所であった「離れ家」を一茶に提供し、厚くもてなしました。一茶は十数年間、に136回に渡りここに逗留し近隣の門人たちの指導をしていました。本館には、この「離れ家」が当時のままの姿で復元、移築されています。現在、当時の建物で残っているのは、柏原の一茶終焉の土蔵とこの「離れ家」だけです。この「離れ家」は、茅葺きの屋根裏に土壁が塗ってあり、建築学的にも珍しい貴重な文化財です。
 高山村における一茶の門人は、久保田春耕・成布の夫妻をはじめ、中村皐鳥、梨本稲長、梨本牧人、善哉山士、臼田野僕等、およそ20人ぐらいいたようです。本館では、そうした門人宅などに大切に伝えられてきた家宝の寄託を受けて、「父の終焉日記」をはじめ、「浅黄空」、「俳諧寺抄録」等の一級作品の原本や珍しい付け木書等、一茶の遺墨数十点を保管し展示しています。
 平成26年6月、久保田ひろ志氏から寄託されていた遺墨や関連資料の内、360点あまりが高山村に寄贈されました。本館はこれを機会に博物館法による登録博物館の申請を行い、平成27年11月19日付けで認可されました。この日はくしくも一茶の命日でした。
 小林一茶は俳諧史上、芭蕉、蕪村と並び称されている江戸時代を代表する俳人ですが、最近の一茶研究の深化と俳句人口の増加とがあいまって、ますますその評価が高まってきています。このような貴重な宝を保護、保存している「一茶ゆかりの里 一茶館」に、大勢のみなさんがご来館くださることを心からお待ちしております。
 
[歴史公園信州高山]

一茶ゆかりの里 一茶館 館長  宮本 孝雄

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